一粒の涙とともに、光になった祖母
自宅での看取り その後
2025年1月9日。
冬晴れの昼。
祖母は、一粒の涙とともに、
とても穏やかに旅立ちました。
もうすぐ94歳。
その少し手前、93歳でした。
前日までは、いつも通りの時間が流れていました。
それが、その日の朝から、
最期が近いことを感じるような変化がありました。
今日かもしれない。
明日かもしれない。
もしかしたら、娘が間に合わないかもしれない。
そう思って胸がざわざわしたのが、午前10時頃でした。
急いで娘を帰宅させ、
祖母との残り少ない時間を一緒に過ごしました。
娘が選んだ、いつもの日常
ところが、しばらくすると娘が、
「また学校行く。体育あるから」
と言い出しました。
「お別れしたならいいけど、
次に帰ってきた時、バァバはもうお空かもしれないよ」
そう伝えました。
それでも娘は、
「行く」
と言いました。
行く子も行く子ですが、
行かせる親も親かもしれません。
でも、それも娘の選択。
私は娘を駅まで送りました。
まだ大丈夫かな。
そう思いながら家に戻ったのが、12時過ぎ。
そこから少しの間、
私と祖母、ふたりだけの時間がありました。
一粒の涙とともに
そして、12時20分。
一粒の涙を流し、
とても穏やかに息を引き取りました。
あれ?と思った次の瞬間、
すーっと光になっていくような、
本当に静かな最期でした。
管につながれることもなく、
酸素マスクをつけることもなく、
機械で「死」を確認するのでもなく。
ただ、暮らしの中で、
静かに、穏やかに、
その時を迎えました。
その時間は、
とてつもなく穏やかでした。
悲しみだけではなかった時間
悲しい。
寂しい。
もう会えない。
もちろん、その気持ちはあります。
けれど同時に、
言葉ではうまく言えないほどの、
静かな満たされた感覚もありました。
祖母は、最期の最期まで、
本当に穏やかでした。
娘が生まれるまでは、
私はよく自分の遊びに祖母を連れ回していました。
私の友人たちは、
祖母を「バーヤ、バーヤ」と呼び、
一緒に遊んでくれました。
私の友人であり、
祖母の友人でもあるような方が、
たくさんいました。

祖母は、それをとても楽しんでくれていました。
娘が生まれてからは、
バァバと娘との時間も重なっていきました。
娘に見せたかった
老いていく姿。
弱っていく姿。
できることが少しずつ減っていく姿。

それを娘が暮らしの中で見てきたことは、
きっと言葉以上の何かを、
娘の中に残してくれたのだと思います。
2025年1月9日。
冬晴れの昼。
祖母は、私と娘に大きなギフトを残し、
お空へと舞い上がっていきました。
命の終い方を、娘と見つめる。
それは、私自身の内側を静かに整えてくれる、
大切な時間でもありました。
自宅で看取り、自宅から送り出す中で感じたことは、
また次の記事で綴りたいと思います。
祖母と娘の時間。
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