仏教の経典『大般涅槃経』に登場する「醍醐」という言葉
「醍醐味」は、発酵から生まれた言葉

「それこそ、この仕事の醍醐味です」
そんなふうに、物事の本当のおもしろさや、最も深い味わいを表すときに使われる「醍醐味」という言葉。
実はこの言葉、仏教の経典『大般涅槃経』に登場します。
そこには、牛乳が少しずつ姿を変え、精製されていく過程が、
乳
↓
酪
↓
生酥
↓
熟酥
↓
醍醐
という五つの段階で表されています。
牛乳から、凝乳やバターのようなものへ。
さらに手をかけ、時間を重ね、最後にたどり着くのが「醍醐」。
醍醐は、その中で最も上質で、最もおいしいものとされていました。
そこから「醍醐味」という言葉が、物事の本当の価値や、最高の味わいを表すようになったそうです。

「醍醐は最上なり」
『大般涅槃経』には、醍醐について、こんな一節があります。
「醍醐は最上なり。
もし服する者あらば、衆病皆除く。
所有の諸薬、悉くその中に入る」
今の言葉にすると、
「醍醐は最上のものであり、これを口にする者があれば、諸々の病はすべて除かれる。あらゆる薬の働きが、その中に含まれている」
というような意味です。
もちろん、これは現代の医学的な効能を示したものではありません。
仏教では、醍醐を最上の食べ物として、同じように最上である仏の教えを表すたとえに使ったものです。
それでも、まだ科学も医療も今ほど発達していなかった時代に、発酵の最終段階で生まれるものが、これほど尊いものとして記されていたことに驚かされます。
醍醐は、乳酸菌生産物質だった?
近代以降、経典に記された醍醐の製法を研究する中で、
「醍醐とは、乳酸菌が長い時間をかけて発酵したあとに残す、乳酸菌生産物質に当たるのではないか」
と考えられるようになりました。
乳から酪へ。
酪から生酥、熟酥へ。
その間、乳酸菌は増え、働き、さまざまなものを作り出します。
そして発酵が進んだ最後に残るのは、乳酸菌そのものだけではありません。
乳酸菌が活動する中で生み出した、さまざまな発酵代謝物です。
これが、現代でいう「乳酸菌生産物質」。
つまり、
醍醐
=乳酸菌が働いたあとに生まれるもの
=乳酸菌生産物質
と考えられているのです。
そして、その乳酸菌生産物質を、毎日の暮らしに取り入れやすい形にしたものが「ひなまる」です。
とてもシンプルに表すなら、
醍醐=乳酸菌生産物質=ひなまる。
「ひなまる」という名前は現代のものですが、その考え方の原点は、はるか昔の経典に記された「醍醐」にまでつながっているのかもしれません。
時間をかけることで、生まれるもの
発酵のおもしろさは、目に見えない小さな菌たちが、素材を少しずつ変えていくこと。
牛乳がヨーグルトになり、
大豆が味噌や醤油になり、
お米がお酒やお酢になる。
同じ材料でも、菌の働きと時間が加わることで、香りや味わいだけではなく、まったく別のものへと姿を変えていきます。
人が無理に何かを作り出すというより、菌が働きやすい環境を整え、あとは待つ。
考えてみれば、発酵もまた、
「頑張るより、整える。」
なのかもしれません。
私たちの身体の中にもある、発酵の世界
菌が働いているのは、味噌蔵や酒蔵の中だけではありません。
私たちの腸の中にも、たくさんの細菌が暮らしています。
食べたものを分解しながら、菌たちはさまざまな成分を作り出しています。
乳酸菌生産物質とは、乳酸菌そのものではなく、乳酸菌が発酵する過程で作り出したもの。
つまり、菌を身体に入れるというより、
菌が働いたあとの「発酵の恵み」を取り入れる、という考え方です。
ひなまるも、この乳酸菌生産物質を毎日の暮らしに取り入れやすい形にしたものです。
目に見えない菌の働きを借りながら、日々の内側をそっと整えていく。
何かをたくさん足すのではなく、まずは、内側の環境を整えること。
昔の人が、時間と手間を重ねた先にある「醍醐」を最上のものと考えたように、菌が作り出すものには、まだまだ知られていない奥深さがあるのかもしれません。
発酵は、新しい健康法ではありません
発酵は、ずっと昔から人の暮らしのそばにあったもの。
「醍醐味」という、今も何気なく使っている言葉の中にも、菌とともに生きてきた人間の歴史が残っています。
お釈迦様の時代に「最上のもの」と記された醍醐。
それが長い時を越えて、乳酸菌生産物質という形で研究され、今、ひなまるとして私たちの暮らしの中にある。
そう思うと、毎日のひと口にも、少し違った味わいが生まれます。
※経典の言葉は、醍醐と仏の教えを表した歴史的な記述としてご紹介しています。ひなまるが病気の治療や予防を目的とすることを示すものではありません。